日本の子どもたちが英語を学ぶ機会は増えました。ところが、英語が話せても、国際人の教養として求められる日本の文化や歴史を学ぶ機会が少なく、子どもたちにとってハンディキャップとなっています。
「国家の品格」(藤原正彦著)より
ケンブリッジ大学で研究生活を送っていた時のことです。数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を取ったある大教授と会って、自己紹介をしました。すると、挨拶もそこそこに、その大教授はこう訊いてきました。
「夏目漱石の『こころ』の中の先生の自殺と、三島由紀夫の自殺とは何か関係があるのか」
(中略)
世界のトップ・エリートというのは、そういうことをいきなり訊いてくるのです。イギリスの歴史やシェイクスピアについては決して訊いてこない。日本の文学や歴史についての、非常に具体的な質問をぶつけてくる。だから、日本人としての教養をきちんと身につけていないと、会話がはずまない。
(中略)
イギリス人には人を試すという陰険なところがあって、こういう質問に答えられないと、もう次から呼んでくれないそうです。「この人は文化のわからないつまらない人だ」となる。すると商談も進まなくなってしまうらしい。
(中略)
今の七十歳以上の日本人で、英語をうまく話せる人はあまり多くない。海外へ行った彼らの多くは仕方なく、にこやかに微笑んでいました。だから欧米の人たちは、「日本人は何か胸の底に深い物を持っているらしい」と思ってくれました。
ところが最近の若い人たちは、内容は何もないのに英語はペラペラしゃべるから、日本人の中身が空っぽであることがすっかりバレてしまいました。内容がないのに英語だけはうまいという人間は、日本人のイメージを傷つけ、深い内容を持ちながら英語は話せないという大勢の日本人を、無邪気ながら冒涜しているのです。
上記の記述は決して大げさではありません。
実際、私(森)もフランスで講演をさせていただきました時に、フランス人の方から訊かれました。
「日本人が優しいのは『輪廻転生』を信じているからですか。『輪廻転生』について教えてほしい」と。
私(森)は幸い仏教についての知識が少しありましたことと(仏教系大学出身)、日本人は来世のために、つまり自分の得のために人に優しくしているのではないということをお伝えしたい思いがあり、日本人の表裏一体(相手が困っていたら自分も悲しい)の考え方や日本人は損得ではなく、美しいか美しくないかで行動することなどを話したと記憶しています。
国際社会に生きる子どもたちのために日本人としての教養を、
そして、日本人としての誇りを
と思い、始めた活動(幼児教育の取り組み)でしたが、この頃は、別の差し迫った問題に直面しています。
新入社員研修等で20代の若者の困りごとについてアンケートをとると、
・敬語が難しい/話せない。
・空気が読めず、不快にさせている理由がわからない。
・礼儀作法がわからない。失礼していることにも気づけない。
・笑顔の仕方がわからない。
という回答を多くいただくようになりました。
それは、大人との距離を友だちのようにし、敬語も礼儀作法も「いいよ、いいよ」とし、「~しなくていいよ(笑わなくていいよ)」としてきた大人に責任があると感じています。
礼儀作法は、基本を学ぶので、実際に礼儀作法を使うときは基本を応用して使います。
つまり、礼儀作法は型にはめる物ではなく、応用力・工夫力を鍛える物です。
また、「~しなくていい」はほんとうに相手(子どもたち)のためになっているのでしょうか。
子どもたちの生きる力の基として今こそ
日本の伝統文化であり、応用力・工夫力を鍛える「礼儀作法」、
敬う心を育み、日本語の美しさである「敬語」、
そして、日本の始まりの物語である「古事記」や「日本書紀」を大人が学び、子どもたちへ伝えるときではないでしょうか。
保育教諭、保護者様向けの講演会や研修を開催いたしております。
また、英語教育とあわせて日本文化(しきたり等)と礼儀作法講座を教育カリキュラムに導入されてはいかがでしょうか。
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※関西エリアの幼稚園、保育所、認定こども園の場合、助成制度を活用して和文化プログラムを導入いただくことが可能です。ぜひご相談くださいませ。